『神待ち少女』っていう本があるということを知ったので、読んでみました。
本を書いた人はよく取材したんでしょうけど、自分の体験する範囲の感覚とは違うかなと思いましたね。
古い本だから、当時の真実を描き出しているのかもしれないのですが、ただ、現在は違うよと。
ひょっとしたら、あえて深刻な女の子を探しているジャーナリストと、その場限りの関係を楽しみたいだけの男の違いなのかもしれませんが、いちいちそのすべてを調べている人はいないでしょう。

書籍『神待ち少女』

『神待ち少女』に書かれている内容、登場する少女たちには、みな深刻な背景があります。
共通しているのは劣悪な家庭環境から逃れるために神待ちをしているということでしょう。
その女の子たちは、表向きは他人に無償の施しを期待していると。
家庭に愛がないからこそ、他人に無償の施しを期待したのかもしれませんが、とにかく、少女たちが深刻な状況に直面しているという切り口で書かれていますね。
今から10年近く前はそうだったかもしれませんが、今ではそんな状況はないんじゃないかと思います。
いや、ゼロではないでしょうが、絶対数として減ったということです。
つまり、掲示板で見かける女の子たちのほとんどには深刻な事情なんかもっていませんよ。

見返りなく助ける男を神と呼ぶ・・・?

男が神待ち女子に見返りを求めちゃいけないなんてことはそもそもないだろうと思います。
いや、女の子と食事をしたり、一つ屋根の下で眠ることそのものが見返りと言えるかもしれませんが、それ以上のことを期待するのが間違いとか、いけないこととは言えないでしょう。

仮に、本当に見返りを求めないような男がいるなら、それは「神」ではなく「ばか」だと思いますね。
女の子もそんな男は怖いだろうと思いますよ。
二人きりの状態でなにもしてこない男よりも、まだ脱ぎたての靴下の臭いをかぎたがる方が理解できるでしょうね。
自分には理解できませんが。

彼女たちの多くはリスクを受け入れている

結局は必要悪なんだと思います。
神待ちだってマーケットとして考えれば、需要と供給があるから成り立っているわけです。
そのいずれかがなくなれば、かつてそういうこともあったよね、ということになるだけです。
だから、女の子たち本人がそれでいいというなら、それでいいと思うんですよね。
もちろん、未成年は例外ですよ。
自分だって、そこに踏み込むつもりはありません。
それ以外なら、大人ならということです。