テレビや雑誌やらでは、神待ちは批判的に扱われています。
未成年者が大人に騙されて、性犯罪に巻き込まれるというのが理由です。
確かにそういう事件もありますが、それは神待ちの側面の一つに過ぎません。
本質は人助けなのです。

言うだけなら誰でもできるが現実は見えていない

要は、家出少女の窮状につけこんで、大人たちが彼女たちを搾取するというわけです。
そういう面があるのは否定できませんが、家出をしなければいけないほど追い詰められた少女たちを助ける仕組みがないのも事実です。
実際、テレビや雑誌などは批判するだけで何もしません。
彼らにとってすれば、自分たちの視聴率なり売り上げが上がればオーケーなだけですから、世の中には親切を装って近づいてくる卑劣な男がいるから気をつけましょう、というだけで終わり。
また新しい話題に切り替えていきます。
そこでは、一番大切な問題、家出少女たちをどうするのかが放置されたままです。
テレビや雑誌はもちろん、本来彼女たちに救いの手を差し出すべきお役所が何もしていないから、一市民である泊め男たちが彼女たちを救うしかないのです。

家出せざるを得ない少女たちの逃げ場所

プラスの側面に注目すれば、神待ちは少女たちの避難所としての機能を果たしています。
いざとなれば逃げる場所があるからこそ、実際の家出を思いとどまることだってできるのです。
夏休みの宿題に例えると、始まったばかりのときは、まだ休みはたくさん残っているから、あとでやればいいと後回しにしてしまう心理と同じです。
逃げ場所が常にあると思えば、いざとなれば家出すればいいから最後まで我慢しようと家出を思いとどまる動機になるのです。
掲示板があるから家出を誘発しているというのは、短絡的な思考であって、実際は歯止めとして機能しているのです。

全ての神待ちが正当化されるわけではないが

物事には表があれば裏があるものです。
神待ちだって明るい面だけではありません。
世間の耳目を騒がすような事件が起こっているように、悪いことを考える大人が存在するのも否定できません。
しかしそれは、警察官や教師が性犯罪を犯していることを考えれば、どんな世界にも一定数、悪い奴が紛れ込んでいるから、神待ちだけの問題ではありません。
現実的には、居場所がなくなっていくところのない少女たちの避難所としての役割を全うしようという大人も存在しているのです。
その意義は否定すべきではありません。