掲示板の使い方としては間違っているんでしょうけど、神待ちに決まった形はないだろうと思います。
それというのも、経緯版で人とは違うことをしたからなのです。
仕事でちょっと疲れた時期がありまして、話し相手がほしいと思うようになったことがあります。
そこで、神待ち女子を家に呼んで、彼女たちと話ができればなと思ったのです。
家に帰っても誰もいませんから、話し相手はいません。
日中、会社の同僚と業務についての話をするだけです。
しかし僕には人間的な触れ合いみたいなものが必要でした。
肉体的にもだが、精神的に疲れていたのです。
その時の僕は、誰かに手を差し伸べてあげれば、自分も救われるかもしれないと思ったのです。
どうせなら若い女の子がいいと、下心的なものがあったわけで、回復する下地はあったのでしょう。
若い子との一晩の触れ合いが、予想外の効果を発揮したみたいで、だいぶん救われた気がしています。
今思えば鬱一歩手前だったのかもしれない
なんだか不穏な話をしてしまいましたが、僕にとっては深刻な問題を抱えていたのです。
ひたすら、家と会社の往復で気が付いたらカレンダーをめくっている毎日で、実家も遠くてなかなか帰省することもありませんでした。
仮に時間があっても、そもそも両親ともに厳しくて、仕事で疲れたなんて言おうものなら目から火が出るほど怒られるに決まっていましたから、実家に戻ることはなかったと思います。
本当に追い詰められた人からすれば大したことはなさそうに思えるでしょうが、当時の自分にとっては苦しい状況だったのです。
今冷静になって思えば、鬱一歩手前だったのかもしれません。
東京に住んでいたら新小岩駅に行っていたと思います。
久しぶりの優しさに触れて
僕は以前にも出会い系を利用したことがあります。
それがよかったのかもしれません。
そうでなければ出会い系で話相手を探そうという発想にならなかったと思います。
ただ、この時は首から下には興味がありませんでしたから、会うだけでいい神待ちにしました。
そこにいるのは行くところがなくて困っている女の子たちばかりです。
彼女たちを助けてあげれば自分が生きていることを実感できるかもしれないとの思いもありました。
それなら家に泊めるだけでいいし、泊めてあげれば話もできると思いました。
掲示板を見ると、食事だけでいいから、というヘルプがありました。
返信後すぐに落ち合うことになり、食事をおごってあげました。
そのあとの予定はないし、家に帰るつもりもないというので、家に連れていくことにしました。
最初は遠慮していたが、割合素直についてきました。
神待ちで、助けたつもりが、救われた
彼女が元気にご飯を食べている姿を見ていたり、話をしていますと生き返る感じがしました。
久しく忘れていた感覚を思い出せました。
彼女には気のすむまで泊まっていいと言いいましたが、丁重に遠慮されました。
僕も、それ以上はさすがに引き留めませんでした。
しかし、次の日には、初対面の印象よりだいぶん表情が明るくなっていたと思います。
彼女のほうも僕と話ができて気が済んだようでした。
二人とも神待ちで救われた形になったのでしょう。
こういう動機で掲示板を利用する人も多くないでしょうが、こんな利用法もあるんだよと知ってほしかったのです。
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